日本最古の正史ともされる『日本書紀』において、日本建国の地と記された橿原。
天照大神の血を引く神倭伊波禮毘古命(後の神武天皇)が、
豊かで平和な国づくりをめざして、九州高千穂の宮から東に向かい、
想像を絶する苦難を乗り越え、畝傍山の東南の麓に橿原宮を創建されました。
第一代天皇として即位されたのが紀元元年、今からおよそ2,600余年前のことです。
日本の歴史と文化の発祥の地でもある橿原は、日本の原点ともいえるでしょう。

橿原神宮がお祀りしているのは、第一代神武天皇と皇后の媛蹈韛五十鈴媛命です。神武天皇は、天照大神の天孫・瓊瓊杵尊より四代目に当たり、正式には「神日本磐余彦火火出見天皇」と申し上げます。皇后の媛蹈韛五十鈴媛命は、大物主命の御娘に当たる方です。

天照大神が天孫・瓊瓊杵尊に仰せになった「豊葦原の瑞穂国はわが子孫の君たるべき国なり」のお言葉通り、神武天皇が国内を統一なさり、畝傍山の東南・橿原の地に皇居を造られ、即位の礼を行われました。明治時代に入り、天皇の御聖徳を永遠に尊び敬いたいという思いから、この地に神宮創建をという請願が民間有志より出されました。明治天皇がこれを深くほめたたえ、元京都御所の賢所と神嘉殿を下げ渡され、明治23年4月2日、官幣大社・橿原神宮として御鎮座になりました。