橿原神宮の歴史

  • 橿原神宮の歴史

神武天皇即位の地・畝傍山東南麓に橿原神宮が御鎮座し、創建となりました。

  • 創建以前

    畑地になっていた橿原宮址かしはらのみやあと

     古来、畝傍山の山麓周辺には、上代の天皇陵や往昔の遺跡が数多く残っていましたが、東南麓の橿原宮址には、これまでどのような施設も造られた形跡がなく、畑地となっていました。これは、上代の都が当代一代限りのもので、次々と遷都されていたためで、新帝が新たな宮を造営されると、以前の宮は取り払われて耕地に還元されていたと考えられます。
  • 明治10年代(1877)

    明治22年(1889)

    宮址顕彰の気運高まる

     神武天皇の御陵が、橿原神宮に隣接する現在地に定められたのは幕末の文久3年(1863)。その後、修補されたこともあり、明治10年代になると橿原宮址を調査し、これを顕彰しようという動きが高まり、民間から宮址碑の建立や橿原神社の創建の出願が相次ぎました。
  • 明治23年(1890)

    神武天皇即位の地
    畝傍山東南麓に創建

     明治22年(1889)、明治政府は神社創建を認可し、社殿として京都御所の内侍所(賢所)と神嘉殿の2棟が下賜されました。明治23年(1890)1月に移築が完了。同年3月、社号を橿原神宮とし、官幣大社に列せられることになりました。ここに橿原神宮は、神武天皇が即位された「畝傍山東南」橿原宮址に御鎮座し創建されました。
    橿原神宮の歴史 <p>神武天皇即位の地<br />
畝傍山東南麓に創建</p>
  • 明治44年(1911)

    営々と拡張された宮域

     橿原神宮は明治44年(1911)から神威の尊厳を保ち、宮域の神聖を確保するために、寄付金を募り、大規模な宮域拡張・施設の整備事業を行います。明治45年(1912)、内務大臣宛に提出された国費支出願いにより大正4年(1915)から同9年(1920)までの6ヶ年に亘り国費が支出され、さらに同10年(1921)には追加下付がありました。その後、同11年(1922)の帝国議会にて益々の神威発揚のため拡張整備計画が可決されましたが、同12年(1923)に発生した関東大震災により国庫支出は中止となりました。しかし、奈良県により橿原神宮外苑ともいえる畝傍公園が設置され、公園は宮域の尊厳と風致の保存に役立つこととなりました。
     整備事業は大正15年(1926)に竣成し、創建当初の2万159坪であった宮域は約1.8倍の3万6,600坪にまで拡張されました。

    (写真:表参道第二鳥居付近)紀元二千六百年奉祝紀元節大祭橿原神宮の歴史 <p>営々と拡張された宮域</p>
  • 昭和15年(1940)

    延べ121万人余りが参加した
    建国奉仕隊

    御鎮座50年にあたる昭和15年(1940)は、ちょうど神武天皇即位2600年にあたる為、国を挙げての奉祝記念事業として、社殿の修築、境域と神武天皇陵の拡張整備、駅舎や線路の移設などが計画されました。このうち、境域の拡張と外苑の建設は、明治神宮の外苑にならって、勤労奉仕で行われることになり、建国奉仕隊が組織されました。解散までの作業日数はのべ500余日、7,200団体、のべ121万4,000余人が奉仕に参加しています。
    橿原神宮の歴史 <p>延べ121万人余りが参加した<br />
建国奉仕隊</p>

    全国から寄せられた献木

     宮域の造成に約7万6,000余本の樹木が植栽されましたが、うち2万2,000余本は、全国から寄せられた献木でした。植栽にあたっては、郷土の木をもって構成することとし、橿原の地名から昔はカシの木が生い茂っていたことが発掘調査により推測されることから、カシ類を主として、昔の姿に還元することを目標に決められました。
    橿原神宮の歴史 <p>全国から寄せられた献木</p>
  • 昭和15年(1940)

    華々しく紀元二千六百年
    奉祝紀元節大祭が斎行

     記念すべき昭和15年(1940)を迎え、正月三が日の参拝者は125万人を数えました。2月11日の紀元節には、紀元二千六百年奉祝紀元節記念大祭が挙行され、約70万人が参拝。空前の盛り上がりをみせました。6月11日には、昭和天皇が御親拝されています。その後も、外苑運動場での東亜競技大会や各種団体の全国大会、奉祝行事が続き、橿原の地は紀元2600年でわきたちました。
    橿原神宮の歴史 <p>華々しく紀元二千六百年<br />
奉祝紀元節大祭が斎行</p>
  • 昭和20年(1945)

    平成2年(1990)

    橿原神宮御鎮座百年記念大祭を斎行

     昭和20年(1945)の第二次世界大戦の終結後、橿原神宮は国家の管理を離れ、宗教法人のひとつとして、護持運営上多くの困難に直面しましたが、昭和41年(1966)の国民の祝日「建国記念の日」制定に伴う全国運動の盛り上がりなどを経て、平成2年(1990)には、紀元2650年を迎えると共に、橿原神宮御鎮座百年記念大祭が斎行されました。
    橿原神宮の歴史 <p>橿原神宮御鎮座百年記念大祭を斎行</p>
  • 平成2年(1990)

    現在

    平成から令和へ

     御鎮座百年を経て、創建以来一世紀を超える歳月は、ひときわ神気みなぎる厳かな環境を造りだしました。戦前のまま護持されている約53万㎡(約16万坪)の宮域には、紀元2600年を奉祝して植栽された約7万6,000余本の樹木が生い茂り、その豊かな緑が多くの人々に親しまれています。
     幾多の困難を克服して日本建国の偉業を成就された神武天皇の御聖徳にあやかろうと、人生の新しい門出や開運を祈る参拝者の姿が多く見られる今日、日本建国の聖地である橿原神宮は日本人の心のよりどころとして、これからの時代にも新しい使命を見いだしています。
    橿原神宮の歴史 <p>平成から令和へ</p>
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