お知らせ

令和7年05月03日

「春季献華祭」斎行の御報告

53日(土・祝)午前10時より、フラワーアーティスト村松むらまつ 文彦ふみひこ奉仕による「春季献華祭」を斎行致しました。

祭典では、斎主の祝詞奏上に続き、献華の儀が執り行われ村松氏により挿花された作品を神職が御神前へお供え致しました。

祭典後は場所を外拝殿へ移し、大規模な作品を制作されました。

各献華作品は、祭典後から55日(月・祝)午前中まで外拝殿にて展示しております。
御参拝の際には是非御覧下さい。

令和7年05月02日

「長山稲荷社例祭」斎行の御報告

52日(金)午前11時より、「長山稲荷社例祭」を約60名の参列を賜り斎行致しました。

祭典は、奉納された提灯・のぼりが社殿や参道に掲げられる中、賑々しく執り行われ、斎主の祝詞奏上に続き、巫女により神楽「浦安の舞」が奉奏されました。

長山稲荷社は、橿原神宮御鎮座以前より境内深田池畔に地主神として祀られ、橿原神宮の御造営、御鎮座を御加護されてきました。現在は、橿原神宮の末社として開運厄除・五穀豊穣・商売繁盛の御神徳を持つ霊験あらたかな社として崇敬されています。

「長山稲荷社例祭」は、昭和8年(1933)に大阪市在住の篤志家の寄進により、現在の地に鎮座した52日を例祭日に定めて執り行われております。

令和7年04月29日

「昭和祭」斎行の御報告

429日(火・祝)午前11時より「昭和祭」を斎行致しました。

本年は昭和100年の節目の年に当たり、近畿圏を中心に約460名の参列を賜りました。

「昭和祭」は、昭和天皇の御誕生の日にあたる429日に、昭和天皇の御聖徳をお称え申し上げる祭典です。

祭典では宮司の祝詞奏上に続き、神楽「浦安の舞」が奉奏され、皇室の弥栄と国家の安泰・世界平和を祈念致しました。

浦安うらやすの舞

「浦安の舞」は神武天皇が橿原宮に即位されてから2600年となった昭和15年、昭和天皇の御製ぎょせいに、宮内省楽部に奉職していたおおの 忠朝ただとも氏により作曲・作舞された神楽。
平和への願いが込められており、広く全国の神社で舞われている。

昭和天皇御製「朝海あしたのうみ
天地<あめつち>の 神にぞいのる 朝なぎの 海のごとくに 波たたぬ世を

令和7年04月19日

「下種奉告祭」斎行の御報告

417日(木)午前10時より「下種奉告祭」が斎行されました。

「下種奉告祭」は、新嘗祭をはじめ年中諸祭典にお供えするお米の種を播くにあたり、毎年4月に執り行われます。

祭典では斎主の祝詞奏上に続き、御神前お供えされた「忌種いみだね:清浄な籾種」が斎主より作長へと授けられました。

忌種から育てられた苗は、6月斎行の「御田植祭」にて神饌田へと植えられます。

令和7年04月13日

「第十三期海軍甲種飛行予科練習生 第五十二回戦没者慰霊祭」斎行の御報告

 

413日(日)午前11時より、橿原神宮内 若桜友苑にて「第十三期海軍甲種飛行予科練習生 第五十二回戦没者慰霊祭」が斎行されました。

「第十三期海軍甲種飛行予科練習生戦没者慰霊祭」は、大東亜(太平洋)戦争末期、祖國存亡の危機に一身を投じ学業半ばにして海軍飛行機搭乗員を志願された「第十三期海軍甲種飛行予科練習生」出身の戦没者一千余名の英霊をはじめ、祖国の為に殉職された先人達を偲び、平和を願う祭典です。

祭典では斎主の祭詞奏上に続き、巫女により神楽「浦安の舞」を奉奏し、平和を祈念致しました。
その後、元自衛官の吉村芳永氏によるビューグルとトランペット演奏「國のしずめ」「海行かば」「決戦の大空へ」「若鷲の歌」が奉納されました。

当神宮では、今後も尊い生命をかけて祖国のために殉じられた英霊に、慰霊の誠を捧げ続けますと共に、今も世界各地で発生している紛争の一日も早い解決を祈念して参ります。

海軍飛行予科練習生

通称「予科練」と呼ばれています。
第一次世界大戦以降、航空機の需要が世界的に高まる中、より若いうちから基礎訓練を行うことで熟練の搭乗員を多く育てようと、昭和5年より開始した教育制度です。
14歳
半から17歳までの少年を全国から試験で選抜し、搭乗員としての基礎訓練をするもので、制度が始まってから終戦までの15年間で約24万人が入隊し、うち約24千人が飛行練習生課程を経て戦地へ赴きました。
特別攻撃隊として出撃したものも多く、戦死者は8割の19千人にのぼっています。

(甲種予科練=中学41学期終了程度の学力を有する満16歳以上20歳未満のもの)

(乙種予科練=高等小学校卒業程度の学力を有する満14歳以上20歳未満のもの)

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