お知らせ

令和7年04月19日

「下種奉告祭」斎行の御報告

417日(木)午前10時より「下種奉告祭」が斎行されました。

「下種奉告祭」は、新嘗祭をはじめ年中諸祭典にお供えするお米の種を播くにあたり、毎年4月に執り行われます。

祭典では斎主の祝詞奏上に続き、御神前お供えされた「忌種いみだね:清浄な籾種」が斎主より作長へと授けられました。

忌種から育てられた苗は、6月斎行の「御田植祭」にて神饌田へと植えられます。

令和7年04月13日

「第十三期海軍甲種飛行予科練習生 第五十二回戦没者慰霊祭」斎行の御報告

 

413日(日)午前11時より、橿原神宮内 若桜友苑にて「第十三期海軍甲種飛行予科練習生 第五十二回戦没者慰霊祭」が斎行されました。

「第十三期海軍甲種飛行予科練習生戦没者慰霊祭」は、大東亜(太平洋)戦争末期、祖國存亡の危機に一身を投じ学業半ばにして海軍飛行機搭乗員を志願された「第十三期海軍甲種飛行予科練習生」出身の戦没者一千余名の英霊をはじめ、祖国の為に殉職された先人達を偲び、平和を願う祭典です。

祭典では斎主の祭詞奏上に続き、巫女により神楽「浦安の舞」を奉奏し、平和を祈念致しました。
その後、元自衛官の吉村芳永氏によるビューグルとトランペット演奏「國のしずめ」「海行かば」「決戦の大空へ」「若鷲の歌」が奉納されました。

当神宮では、今後も尊い生命をかけて祖国のために殉じられた英霊に、慰霊の誠を捧げ続けますと共に、今も世界各地で発生している紛争の一日も早い解決を祈念して参ります。

海軍飛行予科練習生

通称「予科練」と呼ばれています。
第一次世界大戦以降、航空機の需要が世界的に高まる中、より若いうちから基礎訓練を行うことで熟練の搭乗員を多く育てようと、昭和5年より開始した教育制度です。
14歳
半から17歳までの少年を全国から試験で選抜し、搭乗員としての基礎訓練をするもので、制度が始まってから終戦までの15年間で約24万人が入隊し、うち約24千人が飛行練習生課程を経て戦地へ赴きました。
特別攻撃隊として出撃したものも多く、戦死者は8割の19千人にのぼっています。

(甲種予科練=中学41学期終了程度の学力を有する満16歳以上20歳未満のもの)

(乙種予科練=高等小学校卒業程度の学力を有する満14歳以上20歳未満のもの)

令和7年04月03日

「神武天皇祭」「国栖奏奉納」斎行の御報告

43日(木)午前10時より、「神武天皇祭」を斎行致しました。

「神武天皇祭」は、神武天皇が崩御された日が現在の4月3日にあたることから、神武天皇の御聖業を仰ぐ祭典として執り行われております。
祭典では、祝詞奏上に続き神楽「浦安の舞」を奉奏し皇室の弥栄と国家の安泰を祈念致しました。

午後1時からは、国栖奏保存会により「国栖奏」(奈良県指定無形民俗文化財)が奉納されました。
国栖奏は、応神天皇(第15代)が吉野へ行幸の際、国栖の人々が醴酒(れいしゅ/こざけ)を献上して歌舞を奏したことに由来します。
また『日本書紀』には、神武天皇が東征の際に吉野で、この国栖の人々の祖先である磐排別いわおしわくの子に出会ったとも記されています。

令和7年04月02日

「御鎮座記念祭」斎行の御報告

42日(水)午前10時より「御鎮座記念祭」を斎行致しました。

「御鎮座記念祭」は、明治2342日に橿原神宮が御鎮座したことに由来し、御鎮座翌年から現在に至るまで執り行われています。

祭典では、祝詞奏上に続き神楽「扇舞」を奉奏致しました。
また祭典後半では、白色尉はくしきじょうの翁面をつけて舞う「翁舞おきなまい」が奉納されました。

令和7年03月27日

【3/28~4/5】駐車場利用についてのお願い

「春の出会い神武さん」の開催に伴い、駐車場利用を下記の通りとさせていただきます。

御参拝の皆様には御不便をおかけいたしますが、何卒御理解の程お願い申し上げます。

【期間】令和7328日(金)~45日(土)

【駐車場を御利用の方】
ピンク色の遊苑駐車場を御利用下さい。

【交通安全祈祷の方】
 
アオ色の矢印に沿って、祈祷殿までお進みください。(一方通行)

※オレンジ色の場所は、駐車を御遠慮ください。

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